「李広利」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
「王」は単于の下の位にあるので、書くとすれば「皇帝」が妥当でしょうが、ここでは「君主」としておきます。 |
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19行目:
後に、内者令(600石の官吏)の郭穰が、「劉屈氂夫人は、夫が武帝の叱責を受けたため呪詛し、李広利と共に昌邑王を帝位につけるための祈祷を行なっている」と報告した。そのため、武帝は劉屈氂を逮捕して、引き回しの末に腰斬の刑に処し、妻子も斬罪となった。またこれに連座して、李広利の妻子も処刑された。
この時、李広利は勝ちに乗じて匈奴を追撃していたが、この報を聞き、失意ののち匈奴に投降した。李広利は匈奴の
== 関連項目 ==
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