「モーリス・ラヴェル」の版間の差分

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== 後世への影響 ==
[[File:Ravel Gershwin Leide-Tedesco002.jpg|thumb|ラヴェルとガーシュウィン(右端)。1928年]]
「作曲家は創作に際して個人と国民意識、つまり民族性の両方を意識する必要がある」と言うのがラヴェルの考え方であった。1928年、アメリカとカナダの25都市の大きなコンサート・ホールでピアノ公演を行なうため渡米した際も、アメリカの作曲家達に「ヨーロッパの模倣ではなく、[[民族主義]]スタイルの音楽としてのジャズとブルースを意識した作品を作るべきだ」と述べており、一説によればオーケストレーションの教えを乞うた[[ジョージ・ガーシュウィン]]に対して「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などない」と言ったといわれている。