「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」の版間の差分

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[[ハーバード大学]]に入学するも([[1882年|1882]] - [[1885年|1885]])、学位を取らずに退学。その後[[1887年]]、父親が賭博の担保として入手した「[[サンフランシスコ・エグザミナー]]」を譲り受ける。彼は同紙を「ザ・モナーク・オブ・ザ・デイリーズ」に改名、最良の設備と才能ある作家を得ることに。その後、ハーストは汚職の暴露と、インスピレーションで満たされた物語を数多く発表している。
 
[[1895年]]にはニューヨーク・モーニング・ジャーナル紙を買収し、[[ジョーゼフ・ピューリツァー]](ニューヨーク・ワールド紙の所有者)との発行競争が勃発。購読者数を増加させるために両紙は、[[キューバ]]の暴動に関する記事を多く掲載していくことになる。両紙の記事は、真実を伝えるものよりも市民感情を煽るショッキングなものが多かった。例えば、[[スペイン]]軍がキューバ人を強制収容所に入れ、彼らが疾病と飢えで苦しみ死んだなどという捏造記事やでっち上げ記事で民意をコントロールし、スペインとの戦争([[米西戦争]])までを引き起こしている。[[イエロー・ジャーナリズム]](ジャーナル中のコマ漫画“[[イエロー・キッド]]”の名前に由来する)の用語は扇情的に扱われた新聞記事のスタイルに使用された。
 
多くの人々が、ハーストは、自身の新聞の売り上げを伸ばすために[[1898年]]の[[米西戦争]]を誇大に報じたことを知っている。彼の政治経歴は、[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[ウィリアム・マッキンリー|ウィリアム・マッキンレー]]の[[暗殺]]に絡んで、事件の数か月前に出版した[[アンブローズ・ビアス]]による風刺詩がマッキンレー暗殺をほのめかしているとの指摘を受け、痛手を受けたことも。
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[[アメリカ合衆国下院]]議員([[1903年]] - [[1907年]])、[[ニューヨーク]]市長([[1905年]]と[[1909年]])と政治家としての道を歩むが、[[ニューヨーク州]]知事([[1906年]])選挙に出馬するものの、チャールズ・エヴァンス・ヒューズに敗北。この間、[[第一次世界大戦]]へのアメリカ関与に反対し、[[国際連盟]]を攻撃したこともある。
 
彼の新聞の全国チェーンとニュースを配信する通信社の国際ニュースサービス社(INS;(INS;後にやはり新聞チェーン系のUPと合併。組織、資本内容が変更されて[[UPI]]となる)を加えて、定期刊行物は「シカゴ・エグザミナー」「ボストン・アメリカン」「[[COSMOPOLITAN|コスモポリタン]]」「[[ハーパース・バザー]]」を含むようになった。
 
1920年代には[[カリフォルニア州]]サン・シメオンの240,000[[エーカー]](970 km<sup>2</sup>)の農場に動物園付きの絢爛豪華でやや悪趣味な城を建造(通称[[ハースト・キャッスル]])。このころ、元女優の[[マリオン・デイヴィス]](本名マリオン・セシリア・ダグラス、[[1897年|1897]] - [[1961年|1961]])と知り合い、妻と別居して、マリオンと暮らし始める。初めてハーストと出会ったころのマリオンは、まだ10代半ばのショーガールだったが、50代のハーストはひと目でマリオンの容姿と性格を気に入り、直ちに彼女の[[パトロン]]に納まった。そして愛人であるマリオンのために、わざわざ映画制作会社(コスモポリタン社)まで設立。強引に彼女を映画女優に仕立て上げデビューさせただけでなく、自分が発行する新聞社の記事で彼女を大々的に宣伝した。しかし、その露骨なまでに愛人をプッシュする売り出し手法は大衆をおおいにしらけさせる結果となった。また、彼女自身、美人というだけであまり女優としての才能もなく、女優業よりも夜通しパーティで遊びまわることに夢中だったことも手伝い、莫大な資金をかけた割りには映画界の評価は芳しくなかった。当然、ハースト傘下以外の新聞・雑誌での評価は低く、結局大スターにはなれず、晩年はハーストの経営する新聞社の経営難により、芸能活動をすることが困難になり1937年に引退。
 
ピーク時には彼はいくつかの[[ラジオ]]放送局および[[映画]]会社に加えて、28の主な新聞および18の雑誌を所有。しかしながら、世界恐慌は彼の財務状態を弱めた。[[1940年]]頃になると彼は巨大なコミュニケーション帝国のコントロールを失っている。1951年、カリフォルニア州[[ビバリーヒルズ]]にて死去。彼が築きあげたハースト・コーポレーションは、巨大メディア・コングロマリットとして現在でもニューヨークに本拠を構え事業は続いている。
 
==その他==
ハーストの生涯は[[オーソン・ウェルズ]]の映画「[[市民ケーン]]」の中でも描かれている。ハーストはこの映画の製作を察知し、映画が自分とマリオン・デイビスを侮辱していると考え、その公開を妨害しようと持てる影響力をすべて行使した(評論家の買収や、劇場への圧力など)。監督のウェルズおよびRKOは、当然、圧力に抵抗したものの上映館数は減少し、当時24歳のオーソン・ウェルズの経歴にも傷つけることとなった。多くの評論家が絶賛し、アカデミー9部門ノミネートの有力作品にもかかわらず、受賞は脚本賞の1つのみ。結果、この一連の妨害工作は、アカデミー最大の汚点とも呼ばれている。ちなみにこの事実は後に「''RKO 281''」の題名でTV映画化されている。しかしながらハーストの死後、「市民ケーン」の評価は回復。映画史上に残る傑作の1つとして、現在でも多くの映画人に影響を与えている。例としては、映画「[[ソーシャル・ネットワーク (映画)|ソーシャル・ネットワーク]]」など。
 
[[1924年]][[11月19日]]、ハーストが愛人マリオン・デイビスや[[チャールズ・チャップリン]]および、何人かのハリウッド著名人と催した大型豪華ヨットクルージングにおいて事件が発生。オナイダ号で航海中、映画プロデューサーの[[トーマス・ハーパー・インス]](「西部劇の父」として知られ[[早川雪洲]]を発掘した)が心臓発作で死亡した事件がそれだ。これに関して、ハーストがインスを射殺し、その事実を隠ぺいするために自身の力を悪用したという噂が流れたことがある。ちなみに、[[2001年]]の映画「[[ブロンドと柩の謎]] ''The Cat's Meow''」は、この噂に基づいた物語とされている。しかしながら一般的な見解によれば、そのような隠蔽は無かったとされている。
 
[[1974年]]に孫娘パトリシアが、左翼グループ SLA(Sinbionese Liberation Army, [[シンバイオニーズ解放軍|共生解放軍]])によって誘拐された([[パトリシア・ハースト]]誘拐事件)。彼女はその後、同組織に加わり犯罪活動に没頭。悪名を馳せている。後に銀行強盗の容疑で逮捕され有罪判決を受けている。
 
==子孫==
5人の息子たちは全員[[ハースト社]]の重役として家業に関わった。次男は、ハースト・ニュースペーパーの編集長を務め、[[フルシチョフ]]のインタビューで[[ピューリッツァー賞]]を受賞している。四男は父の跡を継いで会長職に就いた。四男には最初の妻との間に5人の娘があり、誘拐事件のパトリシアは三女で、その娘リディはモデルをしている。四女のアンは、2013年現在、作家[[ジェイ・マキナニー]]の四番目の妻。10代の頃にドラッグで逮捕歴がある。最初の夫との娘アマンダはモデルをしている。五女ヴィクトリアは[[空手]]の有段者で親日家。1974年に日本の住宅輸入業者の招きで初来日を果たしたのち今日に至るまで何度か来日している。女優を目指し、日本のドラマ『[[服部半蔵 影の軍団]]』にも2回登場した<ref>[http://praisehimministries.org/victoria_hearst.htm Praise Him Ministries]</ref>。鬱病をきっかけに、[[キリスト教]]信者として生きることを決心し、現在布教センターを運営<ref>[http://www.cbn.com/700club/guests/interviews/Victoria_Hearst060606.aspx "Making Peace with Hearst" The 700 Club]</ref>。過激なセックス記事を掲載することで有名なハースト社の女性誌『[[コスモポリタン]]』の販売規制を求める運動に参加している<ref>[http://observer.com/2012/06/hearst-daughter-joins-christian-campaign-to-cover-up-cosmopolitan/ "Hearst Daughter Joins Christian Campaign to Cover Up Cosmopolitan" Observer 2012年6月12日]</ref>。
 
ハーストは5人の息子たちにビジネスの才能がないことを理解しており、[[遺言]]によって、それぞれの息子の家系から1人ずつと、8人の親族外のメンバーによるハースト・ファミリー・トラスト([[家族信託]])を作り、ハースト・グループの経営と財産管理を任せた。ハースト家の人間は、そのトラストから生涯、年金を受け取れる。ただし、配偶者は、ハースト家の個々人がその代で蓄財したものを除き、一族の財産は相続できない条項になっている。<ref>[http://www.hearst.com/press-room/pr-843-20120705.html ハースト社プレスリリース2012/07/05]</ref><ref>[http://www.vanityfair.com/culture/features/2008/12/hearst200812 "The Mansion Trap" Vanity Fair]</ref><ref>[http://www.forbes.com/forbes/2000/1225/6616137a.html "The Case of Ungrateful Heirs" Forbes 2000/12/25]</ref>