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'''ローベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン'''([[:w:Robert Bunsen|Robert Wilhelm Bunsen]]、[[1811年]][[3月31日]] – [[1899年]][[8月16日]])は、[[ドイツ]]の[[化学者]]である。自らが改良した{{Harv|Sella|2007}}バーナー([[ブンゼンバーナー]]と呼ばれる)を利用して、[[グスターブ・キルヒホッフ|グスタフ・キルヒホッフ]]と共に、[[分光学]]的方法で1860年に[[セシウム]]、1861年に[[ルビジウム]]を発見した。
 
[[ゲッティンゲン]]出身。1831年に[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]を卒業後、[[1832年]]から[[1833年]]までヨーロッパの各地を遍歴した。1834年にゲッティンゲン大学講師、[[1836年]]にカッセル高等工芸学校、1839年[[フィリップ大学マールブルク|マールブルク大学]]、1851年[[ヴロツワフ大学|ブレスラウ大学]]教授を経て1852年から[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]の教授になった。
 
その間、[[水酸化鉄]]の[[ヒ素中毒]]の解毒作用の発見などを行ったが、[[砒素]]化合物の[[カコジル]]の研究によりヒ素中毒で死にかけた上、カコジルの爆発により右目の視力を失うことになった。[[1841年]]、電池の陽極をそれまで使われていた[[白金]]から安価な[[炭素]]に変えたブンゼン電池を発明してそれを使った電気分解により[[マグネシウム]]などの単離を行った。[[1852年]]から[[ヘンリー・ロスコー]]と[[水素]]と[[塩素]]からの[[塩化水素]]の生成の研究を始め、[[ブンゼン-ロスコーの法則]]の発見につながった。