「サイゼリヤ」の版間の差分

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== 概要 ==
現在の[[会長]]である[[正垣泰彦]]が、[[東京理科大学]]在学中に[[千葉県]][[市川市]][[八幡 (市川市)|八幡]]にある[[洋食]]店「サイゼリヤ」で勤務をしていたところ、経営者からその腕を認められ、大学4年生のときに店を譲り受けた。しかしその7ヶ月後に火事を出して休業となる。休業期間中に正垣は、これからは[[イタリア料理]]の人気が出ると判断し、洋食店からイタリア料理専門店に転換して店を再開したが、客足はぱったりと途絶えてしまった。正垣は、その原因は価格にあると考え、メニューを全て7割引で販売するという行動に打って出る。この判断が見事的中し、「サイゼリヤ」は行列が出来るほどの大繁盛となった。「この方針ならば売れる」と確信した正垣は、サイゼリヤを低価格路線に乗せ、現在の地位を確立していくこととなる<ref>[http://president.jp/articles/-/10188 よもやの不祥事で断行した「顧客の信頼」回復策 -サイゼリヤ](プレジデント、2011年5月30日号)2013年8月9日閲覧</ref>。なお、この店舗はサイゼリヤ1号店教育記念館として保存されている。ただし、内部は見学不可)が、{{要出典範囲|管理はサイゼリヤ自身くこのビルの持ち主による任意のものである|title=検証可能性を満たす出典を提示くださ。(「自分で問い合わせて確認した」は独自研究であり検証可能性を満たさない。)|date=2012年10月1日 (月) 16:57 (UTC)}}<ref>[[2012年]][[10月1日]]、会社に問い合わせての回答。{{出典無効|date=2012年10月}}</ref>
 
[[1973年]](昭和48年)5月、正垣は'''株式会社マリアーヌ商会'''を市川市八幡に設立。それまで営業していた「レストランサイゼリヤ」のチェーン展開を開始し、千葉県を中心に出店を続けた。[[1987年]](昭和62年)、商号を'''株式会社マリアーノ'''に、[[1992年]](平成4年)には'''株式会社サイゼリヤ'''に変更した。