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** [[10月1日 (旧暦)|10月1日]] - 下野国ほか美濃、武蔵、伯耆、播磨、伊予の6国で大風による被害があり、この年の租調が免じられる。〔続日本紀〕
* [[715年]]([[霊亀]]元年)[[5月30日 (旧暦)|5月30日]] - 下野国ほか相模、上総、常陸、上野、武蔵6国の富民1,000戸を[[陸奥国]]に配する。〔続日本紀〕
* [[716年]](霊亀2年)[[5月16日 (旧暦)|5月16日]] - 下野国ほか駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸7国の[[高句麗|高麗]]人1,799人を武蔵国に移し、[[高麗郡]]を置く。〔続日本紀〕
* [[719年]]([[養老]]3年)[[7月13日 (旧暦)|7月13日]] - [[按察使]]が新設され、下野国ほか相模、上野の3国は[[正四位下]]武蔵国守[[多治比縣守]]の管轄下に置かれる。〔続日本紀〕
* [[737年]]([[天平]]9年)[[4月14日 (旧暦)|4月14日]] - [[征夷大将軍|持節大使]][[藤原麻呂]]から朝廷に報告があった。「[[陸奥国]][[多賀城|多賀柵]]に無事到着し、[[鎮守府将軍]][[大野東人]]等と協議し、下野国などの騎兵1,000人を動員して山道および海道を開き、これに畏怖の念を抱いた[[蝦夷]]の民衆を懐柔策をもって鎮め、陸奥・[[出羽国|出羽]]各地([[玉造柵]]、[[新田柵]]、[[牡鹿柵]]、[[色麻柵]]、[[大室駅 (出羽国)|大室駅]])まで進み道路整備を行った。今、出羽[[比羅保許山]]に駐屯しているが、この先[[雄勝城|雄勝]]まで東人は武力制圧すると言っているが、麻呂の考えとしては蝦夷を帰順させて平章したいが、何れとするか勅令を賜りたい。」〔続日本紀〕