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天正3年(1575)、[[織田信長]]より[[一向一揆]]討伐の命を受けて、[[金森長近]]が美濃から大野に進攻。一揆平定後、長近は大野盆地が見渡せる亀山に城を、その東麓に城下町を造り始めた。これが現在の大野市街地の起こりである。以後今日まで、大野市は奥越地方の中心地として栄えてきた。山頂にそびえる天守閣と短冊状に区切られた町並み、中世から近世にかけて築かれた寺院が甍を連ねる寺町通り、城下町誕生のころから続くとされる七間朝市など、400年を超える歴史をほうふつとさせる景観を今も色濃く残していることから、「北陸の小京都」と呼ばれている。
 
1888年4月8日、大野市で1000棟以上を消失する[[火災|大火]]が発生。以後、この日にあわせて消防訓練が毎年行われている。また、2008年には40年ぶりに消防隊のラッパ隊が復活した。
 
=== 沿革 ===