「デュヴェルジェの法則」の版間の差分

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[[田中角栄]]は経験的にこのことを熟知していたので、[[中川一郎]]の[[派閥]]([[自由革新同友会|中川派]])は失敗すると予言した(当時[[木曜クラブ|田中派]]、[[清和会|福田派]]、[[宏池会|鈴木派]]、[[中曽根派]]、[[番町政策研究所|河本派]]の五派閥が[[自由民主党]]内に存在していた。当時の衆院選の選挙区の定数は最大で5人であったため、野党の分の議席を考えると中川派はM+1(5+1=6)に食い込めないという算術が成り立つ)。
 
1990年代の選挙制度改革において、小選挙区制度を導入すれば全国単位で[[二大政党制]]が誕生するとさかんに喧伝された。ただかし、現在では、デュヴェルジェが二大政党制が確立するのに20年から50年間の期間を想定していたことや、近年の[[追試]]結果([[デュヴェルジェの法則#概説]]を参照)を考慮していないと指摘する政治学者もいる{{誰|date=2013年3月}}。
 
[[日本共産党]]や[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]は1996年以降2012年頃の民主党分裂までの間、小選挙区制度の下ではこの法則で自民党批判票が[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]などに流れてしまう(特に、党の支持層が[[戦略投票]]をしてしまう)ことを懸念し、[[党大会]]などでも言及してい
 
==関連項目==