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{{存命人物の出典明記|date=2010年12月}}
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''' ロナルド・アーネスト “ロン” ポール''' ('''Ronald Ernest "Ron" Paul''', [[1935年]][[8月20日]] - ) は、[[アメリカ合衆国]]の[[政治家]]。[[共和党 (アメリカ)|共和党]]所属で[[テキサス州]]選出の[[アメリカ合衆国下院|連邦下院議員]]である。
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== 1988年大統領選挙戦 ==
[[1988年アメリカ合衆国大統領選挙]]で、ポールはアメリカン・インディアンの活動家のラッセル・ミーンズに勝ち、[[アメリカ大統領]]への[[リバタリアン党 (アメリカ)|リバタリアン党]]の出馬候補となった。46の州と[[ワシントンD.C.]]の候補者名簿に名前が載ったことで、彼は一般投票で、共和党の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]、民主党の[[マイケル・デュカキス]]に続き、3位となった(431,750票
リバタリアン党候補の時期、ポールは党の旗手と思われていた。そして、銃の所持権、保守的な財政政策、[[ホームスクーリング]]、[[妊娠中絶]]といった問題に関してポールがとった立場に同意する多くの支持者を獲得し、また、他の問題でも、連邦政府は間違った方向性に向かっている、と考えている者からも支持を勝ち取った。おかげで全国的な彼の支持基盤が生まれ、彼を議員生活に戻る気にさせ、選挙戦の資金面でも彼を支えた。2008年のポールの選挙事務長は、ケント・スナイダーで、彼は1988年の選挙の時に初めて活動に加わったのだが、当時[[ジョン・マケイン]]議員は彼に、「君は議会で最も正直な男の下で働いているんだよ。」と言われたという。
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[[2012年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙]]には、1月31日時点では勝っていない。
指名争いよりも[[リバタリアニズム]]の支持拡大に主眼を移しているとの指摘もある<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/120307/amr12030721130012-n1.htm |title=【米大統領選】「他候補はウサギで私はカメ」
5月14日、指名獲得に向けた積極的な選挙運動を中止すると表明して、
==政治的立場==
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ポールは、外交政策では不干渉主義という立場であり、それ故、2008年合衆国大統領選挙の共和党候補者の中では、2002年の[[イラク戦争]]決議案に反対をした唯一の候補者となった。彼は[[アメリカ同時多発テロ事件]]の対応として軍事力を行使する法案に賛成票を投じはしたが、特定のテロリストを対象とした他国商船拿捕免許状と報復の権限を大統領に与えること、などといった戦争の代替策も提案している。彼は強固な国家主権を維持するためとして、[[国際連合|国連]]やNATO([[北大西洋条約機構]])からの脱退を主張している。彼は市民的自由を第一に考えており、[[米国愛国者法]]、連邦政府の拷問の使用、大統領の自律性、国民IDカード、令状によらない国内監視、[[徴兵制度]]、などに反対し、そして自由貿易を支持し、それゆえ管理貿易のための組織である[[北米自由貿易協定]]と[[世界貿易機関]]の構成国であることを否定している。彼は、より強固な国境警備を支持し、[[不法滞在]]外国人に対する生活保護や国籍の[[出生地主義]]や不法移民の合法化に反対している。彼は2006年の安全国境柵法に賛成票を投じている。
ポールは通常、[[公共投資]]やイニシアティブ(住民投票制度)、[[租税]]に関しては、ほとんど全ての提案に反対票を投じている。1995-1997年の任期中に投じられた単独の反対票のうち、
ポールは、州権、[[銃]]の所有、政治犯に対する[[人身保護令状]]、陪審による法の無視の権利、自主的な又は非公式の学校内礼拝を認める[[憲法改正]]、などを支持している。彼はまた、労働者の[[社会保障制度]]からの脱退の許可、医療の分野における自由市場の拡大、[[公害]]防止に対する私的所有権の認知、投票用紙への党・候補者名記載の増進に賛成している。ポールが反対しているものは、[[麻薬]]撲滅キャンペーン、社会医療制度、[[福祉国家論]]、海外援助、[[司法積極主義]]、連邦による[[死刑制度]]への干渉(彼は死刑制度自体には反対の立場である)、結婚・教育に対する連邦の規制、インターネット・ギャンブルの禁止である。そして彼は、同性愛者の行為と同様に異性愛者も含んだ破滅的な性嗜好に注目した問題に対して、軍の“聞かざる・言わざる政策“の施行廃止を支持している。彼は、未婚夫婦や同性カップルによる[[養子縁組]]に対しての政府の補助金制度に反対票を投じた。ポールは自身を、中絶に対する”ゆるぎない反対者“だと言っており、母体及び胎児の健康に対する医学的判断の規制は、”国家レベルの最高位の取り扱い事項だ“という信念を持っている。また[[ウィキリークス]]に対しても、「もっとウィキリークスが必要だ」と擁護する発言をしている。
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