「海南島事件」の版間の差分
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== 事件の概略 ==
[[2001年]][[4月1日]]、午前
そのため中国人民解放軍機が墜落しパイロットが行方不明になった。一方のアメリカ軍偵察機は大きな損傷を負ったが、至近の海南島の飛行場に午前
== 事件の反応 ==
[[File:EP-3E Orion VQ-1 from below.jpg|right|thumb|220px|EP-3E]]
この時期の米中関係は険悪なものであった。これは[[1999年]][[5月]]の[[コソボ紛争]]で
そのため中国側は、「アメリカ軍機が領空侵犯したうえ、わざと急旋回して中国機との衝突を招いた」として非難し、一方のアメリカ側は空中衝突の原因は中国人民解放軍機の挑発行為であると反論し、搭乗員と機体の即時返還を要求した。また、行方不明になったパイロットが、以前にも同様の挑発行為をしており、操縦席から自分のメールアドレスを示していたとして、このような中国人民解放軍機のパイロットによる常軌を逸した行動があったと主張した。
しかしながら、米中両国政府はこれ以上の軍事的対立のエスカレーションは望んでいなかったため、[[5月24日]]に機体返還の合意が発表され、事件は決着をみた。ただし、これも中国側が「駐機料」を請求するなどハプニングがあった。
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アメリカの電子偵察機は不時着までに収集した情報などは抹消したと思われるが、中国側によって機体調査が行われたため、アメリカ軍は偵察システムの変更を余儀なくされたともいわれている。
結果的に、事件の原因は米中のいずれまたは双方に原因があったのか
== 関連項目 ==
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