「厳律シトー会」の版間の差分

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== 歴史的経緯 ==
[[シトー会|シトー修道会]]は[[ベネディクト会]]を母体とし、[[1098年]]に[[フランス]]、[[ブルゴーニュ]]地方のシトー(現在の[[サン=ニコラ=レ=シトー]])に、[[モレームのロベール]]によって創立された{{仮リンク|シトー修道院|fr|Abbaye de Cîteaux}}がルーツである。12世紀に活躍した[[クレルヴォーのベルナルドゥス]]によって大きく発展し、12-13世紀には全ヨーロッパに約1800の修道院を持つ大修道会となった。その後、修道規律の改革が起きたとき、フランス[[ノルマンディー]]地方の{{仮リンク|トラップ修道院|fr|Abbaye de La Trappe}}の厳しい規律に従うシトー修道会のグループを厳律シトー修道会、修道院の場所の名を取ってトラピスト(女子はトラピスチヌ)と呼ばれるようになった。
 
修道院の制度としては大修道院(母修道院)の元に、幾つかの修道院(子修道院)が併設されており、大修道院長はその権能を示す為、大修道院内においては、ミサ中に司教冠([[ミトラ (司教冠)|ミトラ]])と、司教杖([[バクルス]])を使用することが許されている。また同じような理由により、司教帽([[カロッタ]])を被る事もある。また、[[第2バチカン公会議]]以前には、大修道院長の権能に於いて下級聖職者の任命を行っていた。なお、本会では管区制を採っていない。