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[[ファイル:Kanemori Red Brick Warehouse Hakodate Hokkaido pref Japan04n.jpg|300px|thumb|金森赤レンガ倉庫。トレードマークの「曲尺」に「森」の字は、金森洋物店の商標である。]]
'''金森赤レンガ倉庫'''(かねもりあかれんがそうこ、英文表記:'''Kanemori Red Brick Warehouse''')は、[[北海道]][[函館市]]にある[[赤レンガ倉庫]]群の名称<ref name="asahi-np-2010-10-20">{{Cite news | title = 百年企業@北海道 金森商船 赤レンガ 函館の心積んで | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2010-10-20 }}</ref>。金森商船株式会社が管理・運営を行う<ref name="asahi-np-2010-10-20" />。[[大分県]]出身の実業家、[[渡邉熊四郎]]が初代となり[[明治時代]]に創設した「金森洋物店」が起源である<ref name="asahi-np-2010-10-20" />。現在はショッピングモールや[[ビアホール]]・レストランが入居する、函館の観光名所となっている。所在地は北海道函館市末広町14番12号。
 
== 沿革 ==
[[ファイル:Kanemori Red Brick Warehouse Hakodate Hokkaido pref Japan01n.jpg|thumb|[[函館港]]西波止場と金森赤レンガ倉庫]]
現在倉庫群が位置しているのは、[[幕末]]に造船所や外人居留地があった埋め立ての土地である。この地は「地蔵町築島」の呼称で親しまれ、明治時代以降は「船場町」という名に改称された。[[1863年]](文久3年)に大分県出身の初代渡邉熊四郎が[[長崎県]]から函館市に渡り、[[1869年]](明治2年)に金森森屋洋物店を開業した<ref name="kodansha-japanese-name-dictionary-2001">{{Cite book | 和書 | authors =上田正昭 平山郁夫 西澤潤一 三浦朱門 | title = 講談社 日本人名大辞典 | publisher = [[講談社]] | isbn = 4-06-210800-3 | date = 2001-12-06}}</ref>。これが現在の赤レンガ倉庫の起源となる<ref name="asahi-np-2010-10-20" />。背景として、同年に[[榎本武揚]]らが率いた旧幕府軍が洋装の官軍に次々と倒されるのを見て洋服の時代を確信したことがあったとされる<ref name="asahi-np-2010-10-20" />。函館市内に[[開拓使]]出張所が設置された経緯がある。洋物店開業の際、屋号を森屋とした。現在もレンガ建物に描かれている、「[[曲尺]](かねじゃく)」(“金”にも掛けている)に「森」の字を直角線で囲んだトレードマークは、この開業の時の商標である。曲尺の記号には律義でまっすぐという意味があり、商売に駆け引きは不要としていた初代らしい屋号である。
 
[[1884年]](明治17年)頃より、渡邉熊四郎は自身の事業に倉庫が必要であると考え始めた。翌[[1885年]](明治18年)には[[共同運輸会社]]と郵便汽船三菱会社が合併し、[[日本郵船]]会舎が設立。この合併により共同運輸会社がそれまで使用していた倉庫建物や地所が不要となっていたため、熊四郎がそれらを買い取り[[1887年]](明治20年)より営業倉庫業を始めた<ref name="asahi-np-2010-10-20" />。これは函館市内において最初の営業倉庫業であった<ref name="asahi-np-2010-10-20" />。[[1890年]](明治23年)頃には海運業が栄え、最初は不振だった倉庫業も倉庫の数が不足するほどに、預り貨物の量が増えていった。その後は金森船具店などを開業する傍ら倉庫の数を増やし、建物の建材には[[煉瓦]]や[[瓦]]が壁や屋根に使用された。また、同年に[[ドイツ]]の商人が住んでいた洋館を買い上げて場所を[[湯川町|湯川]]へと移動させ、洋館のあった場所に倉庫を建設していった。