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Mugu-shisai (会話 | 投稿記録)
台場の設置時期など
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{{Infobox 島
|島名=猿島
|画像=[[Fileファイル:Sarushima (Yokosuka).jpg|300px]]
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 17 | 緯度秒 = 10 | N(北緯)及びS(南緯) = N
| 経度度 = 139 |経度分 = 41 | 経度秒 = 39 | E(東経)及びW(西経) = E
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|名称 = 猿島公園
|英語名称 =
|画像 = [[imageファイル:Sarushima fort.JPG|300px]]
|画像キャプション = 要塞跡
|国 =
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|公式サイト =
}}
[[画像ファイル:Saru shima01.jpg|thumb|300px|猿島({{国土航空写真}})]]
'''猿島'''(さるしま)は、[[東京湾]]に浮かぶ[[無人島]]であり、湾内最大の自然島である。住所は、[[神奈川県]][[横須賀市]]猿島。島内の大半を'''猿島公園'''として、横須賀市が整備している。
 
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== 概要 ==
[[京急本線]][[横須賀中央駅]]から徒歩と船で約30分という立地ながら、海水浴、バーベキュー、釣り、散策などのレジャーに適する無人の自然島。島内からは[[縄文時代]]の土器や[[弥生時代]]の土器・人骨が出土し、また[[日蓮]]上人にまつわる伝説が残るなど<ref name="sankei20130809">川上朝栄「戦跡残る無人島 神奈川・横須賀の猿島」『産経新聞』 2013年8月9日付け、東京本社発行13版首都圏、22面。</ref>、古くから人々に親しまれた島である。
 
[[幕末]]から[[第二次世界大戦]]前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末の[[1847年]](弘化4年)[[江戸幕府]]により国内初の[[台場]]が築造され<ref name="sankei20130809" />、[[明治]]時代に入ると[[陸軍省]]・[[海軍省]]の所管となり、[[東京湾要塞]]の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って[[煉瓦]]で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ない[[煉瓦#積み方|フランドル積み]]が見られる。
 
第二次世界大戦後は[[1961年]](昭和36年)までの間は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の1国である[[アメリカ軍]]に接収される。その間にも[[1947年]](昭和22年)に渡船の運航が開始、[[1957年]](昭和32年)には海水浴場が開かれる。その後[[1993年]](平成5年)に海水浴場は閉鎖、航路も廃止され立ち入り禁止とされる。
 
[[1995年]](平成7年)、[[横須賀市]]が[[大蔵省]]から管理委託を受けて散策路等を整備し、航路も再開、翌[[1996年]](平成8年)には海水浴場も再開された。[[2003年]](平成15年)、横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備した。
 
== 交通 ==
* 三笠桟橋(三笠公園内)より船で10分。船は、3月~11月は毎日運航、12月~2月は土日祝日のみ運航。
** 三笠桟橋まで、[[京急本線]][[横須賀中央駅]]より徒歩15分、JR[[横須賀線]][[横須賀駅]]より徒歩30分。
* [[防衛大学校]]の[[短艇]]委員会(いわゆる大学のサークルであるが、学校長直属であるため、規則により「委員会」となっている)が、トレーニングのために走水練習場から短艇で漕ぎ着けてくることがある。
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==