「エンリコ・レッタ」の版間の差分

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|spouse = Gianna Fregonara
|partner = <!--For those with a domestic partner and not married-->
 
== 来歴 ==
[[トスカーナ州]][[ピサ]]出身。父のジョルジオは[[数学者]]で[[ピサ大学]]数学科[[教授]](専門は[[確率論]])。高校時代は[[フランス]][[ストラスブール]]で過ごし、[[ピサ大学]]で[[政治学]]と[[国際法]]を専攻。サンタンナ大学院で[[EU法]]を専攻し[[博士号]]([[Ph.D.]])を取得。[[キリスト教民主主義 (イタリア 1942-1994)|キリスト教民主主義]]に入党し、1994年の解党後は[[イタリア人民党 (1994-2002)|イタリア人民党]]、2002年からは[[マルゲリータ (政党)|マルゲリータ]]に所属した。1998年[[マッシモ・ダレマ]]政権で欧州問題担当大臣として初入閣。イタリアでは戦後最年少の閣僚となる。以後、通商産業技術大臣、欧州議会議員を経て[[ロマーノ・プロディ]]政権で官房長官を務めた。
 
2007年には、[[民主党 (イタリア)|民主党]]の結党に参加した。2009年、地方選挙敗北の責任を取って党書記長を辞任した[[ワルベル・ベルトローニ]]の後継となり、[[ダリオ・フランチェスキーニ]]体制で副書記長に就任した。書記長選挙でフランチェスキーニを破った[[ピエル・ルイジ・ベルサーニ]]の下でも副書記長を務めた。
 
2013年、民主党を軸とする中道左派連合が下院選挙で勝利するものの、上院選では過半数獲得に失敗。その後の大統領選挙で党内に造反が続出したことより、ベルサーニと共に執行部を退任する。
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