「ヴォルフガング・ショイブレ」の版間の差分

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1991年から2000年まで、CDU・CSU連邦議会議員団長を務める。ショイブレはコールの後継者と見なされたが、コールはなかなか党首の地位を明け渡そうとせず、1997年にショイブレを後継党首に指名したものの、少なくとも2002年までは党首に留まるつもりであると宣言した。しかし首相・党首の座に執着したコールは1998年の連邦議会選挙で大敗してSPDによる政権交代を許し、辞任に追い込まれた。直後の[[1998年]]にショイブレがCDU党首に就任。しかし翌年になって、コール時代の1994年にショイブレ自身が武器商人からCDU宛に10万[[ドイツマルク]]の不正献金を受けていた疑惑が発覚。最初は沈黙していたが2000年1月になってこれを認めて謝罪し、2月に党首を辞任した。後任党首には[[アンゲラ・メルケル]]幹事長が選出された。なお[[汚職]]罪の追及は証拠不十分で捜査が停止された。
 
2001年、[[ベルリン]]の[[エーベルハルト・ディープゲン]]市長のリコールに伴う選挙に、市長候補としてショイブレを推す声もあったが、スキャンダルの直後だけに地元議員に拒否された。同様に2004年でも[[連邦大統領 (ドイツ)|大統領]]選挙に党の重鎮として候補に取りざたされたが、やはりクリーンなイメージに欠けるということで早々に外された。2002年の連邦議会選挙後に党副幹事長に就任していたが、2005年11月、アンゲラ・メルケル政権の成立に伴い、再び内相として入閣した。この入閣にも批判する声があった。[[2009年ドイツ連邦議会2009年選挙]]後は連立組み替えにより財相に転じた。
 
== 政治姿勢 ==