「奥州探題」の版間の差分

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[[大永]]11年([[1514年]])、[[伊達種宗]]が陸奥国守護職に任ぜられた。これにより、大崎氏が世襲する奥州探題制は事実上終焉し、伊達氏は大崎氏を圧倒し、支配下におかれるようになる。
 
[[斯波家兼]]の子[[斯波兼頼]]は[[延文]]年間(1356~60)に出羽国[[按察使]]として出羽に下向したという。後に[[羽州探題]]と呼ばれ、子孫は[[最上氏]]と称した
 
奥州とは一般的には[[陸奥国|陸奥]]([[青森県|青森]]、[[岩手県|岩手]]、[[宮城県|宮城]][[福島県|福島]])を指す。[[出羽国|出羽]]([[秋田県|秋田]]、[[山形県|山形]])は羽州と呼ぶのが一般的で、現[[東北地方]]である両国をまとめて指す場合は奥羽と呼ぶのが通常である。