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485年には[[ソワソン]]での勝利の後で、[[クロヴィス1世]]がプロヴァンにあったローマ軍の城塞を占領した。9世紀初頭から[[カール大帝]]はこの地に [[:en:Missus dominicus|Missus dominicus]]を派遣したことが明らかになっている。また独自の貨幣を鋳造していたことも明らかになっている。
 
プロヴァンは中世に[[シャンパーニュ伯]]の保護を受けていたときには、[[シャンパーニュ大市|シャンパーニュ大市]]を開催する都市のひとつだった。この時期は確かにプロヴァンが歴史に大きな足跡を残した時期であったといえる。
 
現在、伝統的な北仏の古物市の日([[11月11日]])には、プロヴァンでも毎年下町全体で開催されているが、昔日の面影はない。この伝統的な古物市は聖マルティヌスの市(la foire de la Saint-Martin ; [[トゥールのマルティヌス|トゥールの聖マルティヌス]]は11月11日の[[守護聖人]])だったもので、季節限定で雇われる農業労働者にとっての冬季の雇い入れ時期の開始を告げるものだった。この市は農業的な伝統を持つ多くの町で継続されている。