「前田光高」の版間の差分

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* 光高は腕力が絶倫で、指で碁石を碁盤に押し込んだという逸話がある<ref>『前田綱紀』(人物叢書)12頁。</ref>。
* 光高はなかなかの器量人であり、武芸や和漢の才に優れて『遺訓』『銘歌』『一本種』『自論記』など著作が多数ある。また光高は家康の外孫のためか幕府に対する忠誠が厚く、このため父の利常と衝突することも少なくなかった<ref>『前田綱紀』(人物叢書)5頁 - 7頁。</ref>。
* 光高は[[下戸]]であったとされ、それを物語る逸話がある。隣藩の[[福井藩]]主[[松平忠昌]]は[[酒豪]]でそれあったが、江戸で向かいの屋敷に住んでいた光高が突然死すると、将軍家光は忠昌の健康医師心配し、飲酒を控えるように伝えたが、忠昌は短冊諌めさらされる一遍の狂歌を書いて家光への返事とした。むこふ向い(の屋敷)なる加賀の筑前(前田筑前守光高)下戸なれど31ば 三十一昨日をぞするにけりという狂歌 この返事一首歌受け取ったとい家光は、忠昌だからしょがない、とそのままとなった。<ref>『前田綱紀』(人物叢書)7頁。</ref>。ちなみに忠昌は光高の後を追うように4ヵ月後に死亡した。
 
== 官職位階履歴 ==