「由加神社本宮」の版間の差分

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== 概要 ==
由加山は太古より磐座信仰が行われていたとされる。[[天平]]5年([[733年]])[[行基]]によりこの地に[[十一面観音]]が祀られ、神社仏閣が一体となった'''[[由加瑜伽大権現]](由加大権現)'''と呼ばれる[[神仏習合]]の山となった。北麓にある[[熊野神社 (倉敷市林)|熊野神社]]の縁起によれば、[[奈良時代]]の初めに[[役小角|役行者]]の高弟5人が[[紀伊国|紀州]][[熊野]]より[[熊野本宮大社]]を捧持してこの地に熊野神社を興し、その後、新熊野三山の一つとして由加山に那智宮を開いたとしている。
 
[[江戸時代]]中期より[[備前藩]]主[[池田氏]]の祈願所となり、正月・五月・九月には藩主自ら参拝していた。池田氏は当神社の社殿や、蓮台寺の客殿を造営した。
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[[明治時代]]になると[[神仏分離|神仏分離令]]により、由加神社と[[蓮台寺 (倉敷市)|蓮台寺]]に分離された。現在は西日本を中心に全国に末社52社を有する。
 
[[第二次世界大戦]]後の[[国家神道]]解体後は、形式的には分離したままながら、僧職が本殿で祈祷を行う等事実上明治以前の携帯形態に復し、蓮台寺により一体的に運営されていた。このため由加神社としての宗教法人資格は一応保持、神職を配置しつつも、事実上休眠状態に近かった。
 
1998年3月3日、宗教法人としての独自活動を開始。これ以降蓮台寺と対立状態にある。独自に法人活動を開始した経緯は不明。