「ジャック・ウェルチ」の版間の差分
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== 経歴 ==
[[マサチューセッツ州]]ピーボディの[[アイルランド]]系[[カトリック教
官僚的な組織に馴染めず、また1961年の昇給が僅か1000ドルだったこともあり、自分の専攻が活かせる[[イリノイ州]][[スコーキ]]の国際鉱物化学薬品に転職しようと早くから退社を考えるが、階級がひとつ上の役員ルーベン・ガトフが「失うのは惜しい」とウェルチを引き止める。1963年には、監督下の工場での爆破事故の責任を問われ、解雇寸前にまで追い詰められたこともあった。[[1972年]]同社副社長、[[1977年]]上席副社長、[[1979年]]副会長、[[1981年]]には同社で最年少の会長兼最高経営責任者となった。
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