「ジャック・ウェルチ」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[マサチューセッツ州]]ピーボディの[[アイルランド]]系[[カトリック教会|カトリック]]教徒の家庭に、[[ボストンメイン鉄道]]で働く車掌ジョンと主婦グレイスの子として生まれる。[[1957年]]に[[マサチューセッツ大学]]を卒業。その後、[[1960年]]に[[イリノイ大学]]で博士号を取得し、同年、[[ゼネラル・エレクトリック]]社に入社した。最初の年収は10500ドルだった。
 
官僚的な組織に馴染めず、また1961年の昇給が僅か1000ドルだったこともあり、自分の専攻が活かせる[[イリノイ州]][[スコーキ]]の国際鉱物化学薬品に転職しようと早くから退社を考えるが、階級がひとつ上の役員ルーベン・ガトフが「失うのは惜しい」とウェルチを引き止める。1963年には、監督下の工場での爆破事故の責任を問われ、解雇寸前にまで追い詰められたこともあった。[[1972年]]同社副社長、[[1977年]]上席副社長、[[1979年]]副会長、[[1981年]]には同社で最年少の会長兼最高経営責任者となった。