「マリー=クリスティーヌ (マイケル王子夫人)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
28行目:
'''マイケル・オブ・ケント王子妃'''('''Princess Michael of Kent'''<ref>彼女は自身の権利としてではなく夫との婚姻を通じてPrincessの身位を有するため、Princess Marie-Christineではなく、夫の名に基づいてPrincess Michael of Kentと称するものであり、現に著書においてもこのように称している。著書の日本語訳では「'''マイケル・ケント公妃マリー・クリスチーヌ'''」と記されているが、本文においては、他の記事における訳例との整合性および訳語としての正確性を勘案して「マイケル・オブ・ケント王子妃」と表記している。</ref>、全名:'''マリー=クリスティーヌ・アン・アグネス・ヘッドウィッグ・アイダ'''('''Marie-Christine Anne Agnes Hedwig Ida''')、旧名:'''マリー・クリスティーネ・アナ・アグネス・ヘートヴィッヒ・イーダ・フォン・ライプニッツ男爵令嬢'''(独 '''Marie Christine Anna Agnes Hedwig Ida Baronin von Reibnitz''';英 '''Baroness Marie-Christine Agnes Hedwig Ida von Reibnitz'''), [[1945年]][[1月15日]] - )は、[[イギリス王室]]の一員。[[エリザベス2世]]の従弟である[[マイケル・オブ・ケント|マイケル・オブ・ケント王子]]の妻。作家であり、欧州の王室について数冊の著作を持つ。
 
当時[[ナチス・ドイツ]]領であった[[ズデーテン地方]]カールスバード(現在は[[チェコ]]の[[カルロヴィ・ヴァリ]])で、敗戦が近い1945年1月15日に、ドイツ系の父ギュンター・フォン・ライプニッツ男爵と、ハンガリー人の母マリアとの間の娘として誕生した。[[カトリック教会|カトリック教徒]]教徒として育てられた。ちなみに母方の祖先には、[[フランス王国|フランス]]王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の愛妾[[ディアーヌ・ド・ポワチエ]]やアンリ2世妃[[カトリーヌ・ド・メディシス]]、画家の[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]がいる。
 
1971年、イギリス人銀行家トマス・トルーブリッジと結婚し、1973年に離婚した。1978年、マイケル・オブ・ケント王子と再婚した。1701年[[王位継承法]]([[:en:Act of Settlement 1701|en]])で『王室構成員がカトリック教徒と結婚した場合、王位継承権を失う』と定められていることによって、マイケルはイギリス王位継承権を失った。しかし、[[フレデリック・ウィンザー|フレデリック]]([[:en:Lord Frederick Windsor|Lord Frederick Windsor]])と[[ガブリエラ・ウィンザー|ガブリエラ]]([[:en:Lady Gabriella Windsor|Lady Gabriella Windsor]])の子供2人は[[アングリカン・コミュニオン]]として育てられたため、王位継承権がある。