「トニー・ミッチェル」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
{{by|1989年}}の[[1989年のMLBドラフト|MLBドラフト]]34巡目で[[ピッツバーグ・パイレーツ]]に入団したが、[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]経験はなく、{{by|1997年}}からはアメリカ[[独立リーグ]]でプレー。{{by|2000年}}には[[カンザスシティ・ティーボーンズ|ダルース・スペリオール・デュークス]]で[[打率]].352、26[[本塁打]]、87[[打点]]の成績を挙げたことを評価され、{{by|2001年}}に年俸は1500万円の格安で、[[ペドロ・バルデス]]とともに[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に入団。年俸は1500万円で、格安外国人として話題となった
当たれば本塁打に出来るパワーはあったため本塁打はぼちぼち打っていたものの、同期入団で活躍していたバルデスとは対象的に開幕から不調が続き、打率が2割にも満たず、シーズン後半は二軍生活を送り、シーズン終了後に解雇された。
 
実際の打撃は前年までダイエーに在籍した[[メルビン・ニエベス]]以上に引っ張り専門で、当たれば本塁打に出来るパワーはあるのだが当たればの話。結局は打率が2割にも満たず、シーズン後半は二軍生活を送り、シーズン終了後に解雇され、帰国した。
 
トニーの代理人はかつてダイエーにも在籍した[[ブーマー・ウェルズ]]であった。トニーとケビンが従兄弟同士ということを、球団側は本人の口から語られるまで知らなかったという。ケビンがメジャーリーグでも屈指の問題児で、ダイエー在籍時もシーズン途中の無断帰国など様々なトラブルを起こしただけに、トニーの素行にも注目が集まったが、トニーは球団と揉めるようなことはなかった。ただし気性は荒く、4月26日の対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦([[東京ドーム]])で[[高橋憲幸]]の[[死球]]に激怒、[[金子誠]]の頬に右フックを見舞わせる等の大立ち回りを演じ、退場処分を受けた。この時、ヘルメットの下にかぶっていた水泳帽が話題になった。なおこのシーンは[[プロ野球珍プレー好プレー大賞]]でも取り上げられた。