「パナソニック野球部」の版間の差分

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|都市対抗最近の出場 = [[2013年]]
|都市対抗最高成績 = 準優勝
|日本選手権出場回数 = 3334
|日本選手権最近の出場 = [[20122013年]]
|日本選手権最高成績 = 優勝
|クラブ選手権出場回数 = ※出場資格なし
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== 概要 ==
1950年創部。激戦区・大阪地区で強豪と数々の名勝負を繰り広げ、今も[[近畿地方|近畿地区]]の社会人野球をリードする存在。数多くの日本代表選手やプロ野球選手を輩出してきた関西の名門であり、[[都市対抗野球大会]]は出場45回、[[社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]は出場32回(出場を逃したのは5回のみ)を誇る。ただ、頂点を極めたことは少なく、都市対抗ではまだ準優勝が1回のみ、日本選手権でも3234回の出場で2回の優勝のみである。
 
[[2005年]]、[[第76回都市対抗野球大会予選|都市対抗大会阪和地区]]2次予選で[[クラブチーム]]の[[NOMOベースボールクラブ|NOMO Baseball Club]]に敗れて同大会本大会の連続出場が6年で止まるという屈辱を味わった。雪辱を期すべく猛練習を重ね、秋の[[社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]では決勝戦で同じ関西勢の[[NTT西日本硬式野球部|NTT西日本]]を延長の末破り、2回目の美酒に酔った。
 
[[2008年]][[10月1日]]、松下電器産業が'''[[パナソニック]]株式会社'''に社名変更されたのに伴い、野球部の名称も'''パナソニック野球部'''に変更された。関西地区有数の実力を持つ社会人野球チームであるが、2010年は都市対抗近畿地区最終予選で[[大和高田クラブ]]に敗れ本大会出場を逃し、[[2011年]]も近畿地区予選最後の枠を確保しギリギリで本大会出場するなど精彩を欠いていたが、予選が近畿地区に統合された[[2012年]]は第1代表の座を確保し、[[2013年]]も第3代表の座を確保するなど、再び力を取り戻した。
 
== 設立・沿革 ==
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== 主要大会の出場歴・最高成績 ==
* [[都市対抗野球大会]]:出場48回、準優勝1回(1960年)
* [[社会人野球日本選手権大会]]:出場3334回、優勝2回(2000、05年)
* [[JABA静岡大会]]:優勝1回(1967年)
* [[JABA長野県知事旗争奪野球大会]]:優勝1回(2009年)