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第一次世界大戦と第二次世界大戦時にイギリスの[[元帥 (イギリス)|陸軍元帥]]となる。
当初は南アフリカ現地生まれ白人の多くがそうであるように人種間差別を擁護する姿勢をとり、黒人の解放は西洋文明の究極的崩壊につながると考えていた。1923年には、都市のはずれに黒人隔離行政区を建設し、黒人を都市から一掃する措置を首相として講じた。ユダヤ人のシオニズム運動に協力的であり、国際連盟のパレスチナ委任統治決議で
スマッツは、第二次[[ボーア戦争]]の時指揮官として導いている。第一次世界大戦の間は[[ドイツ]]に対して南アフリカの軍隊を仕向け[[南西アフリカ]]を占拠し東アフリカでは[[イギリス軍]]を指揮した。[[1917年]]から[[1919年]]まで英国戦争内閣の一員であり[[イギリス空軍]]創設にも助力している。彼は[[1941年]]に[[イギリス軍]]の陸軍元帥となり、[[ウィンストン・チャーチル]]の下、戦時内閣にも入閣した。スマッツは[[第一次世界大戦]]と[[第二次世界大戦]]両方の平和条約に署名した唯一の人物でもある。スマッツの成果の一つとしては[[国際連盟]]の設立に係わったことも上げられる。国連憲章に前文を書いて、国際連盟と国連憲章に署名する唯一の人物でもあった。イギリスと[[イギリス連邦]]を樹立する時、いままでの関係を再検討した。
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