「ヨハン・クリスチャン・ダール」の版間の差分

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[[1818年]]にドレスデンを訪れたダールは有力な市民や芸術家の歓迎を受けた。その中に生涯の友人であり師となる画家の[[カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ]]もいた。その地でフリードリヒらドイツロマン派の画家の強い影響を受ける。[[1820年]]にはドレスデンアカデミーの一員となった。
 
[[1821年]]2月、クリスチャン・フレデリック王子の誘いで[[イタリア]]に渡った。[[ナポリ湾]]の絵を描いたことが彼の大きな転機となる。ナポリの情景から特に思い返すこともなかった故郷ノルウェーの自然の素晴らしさを思い出したからだった。同年の6月活動拠点をドレスデン置き続けたが、ノルウェーにも頻繁に帰国。ノルウェーして、その自然を描くようになった。
 
==人名の表記について==