「愛宕山 (東京都港区)」の版間の差分

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山上にある[[愛宕神社 (東京都港区)|愛宕神社]]は、もとは[[1603年]]にこれから建設される[[江戸]]の防火のために[[徳川家康]]の命で祀られた[[神社]]であったが、「天下取りの神」「勝利の神」としても知られ、各藩武士たちは地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で愛宕神社を祀った。[[桜田門外の変]]で[[井伊直弼]]を襲った[[水戸藩]]の浪士達もここで成功を祈願してから[[江戸城]]へ向かったと言う。
 
また、[[日本放送協会]](NHK)の前身の一つである[[社団法人]]東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に[[放送局]]を置き、[[1925年]]7月放送から(それ以前の仮放送は別の場所から)、1938年の[[ラジオ|ラジオNHK東京放送会館]]への移行まで、この愛宕山から発信された
 
このように歴史の舞台となってきた愛宕山は現在かつてのような見晴らしはなくなってしまったが、大木などによる緑の豊かさは変わらない。歴史ある[[曹洞宗]][[青松寺]]・[[愛宕神社 (東京都港区)|愛宕神社]]・[[NHK放送博物館]]と、それらを取り囲む超高層ビルの群れ(例えば[[青松寺]]を挟んで建つ[[シーザー・ペリ]]による[[愛宕グリーンヒルズ]]ツインタワーや、[[虎ノ門]]・[[神谷町]]・[[霞が関]]や[[汐留]]などのビル群)が同時に存在する、現在の[[東京]]を象徴する風景を見せている。