「ジョージ・アンタイル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
カシス (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
3行目:
 
== 生涯 ==
本名ゲオルク・カール・ヨーハン・アンタイル(Georg Carl Johann Antheil)。[[ニュージャージー州]]出身。当初はもっぱら[[ヨーロッパ]]において演奏会ピアニストとして経歴を打ち立て、[[1920年代]]には、友人[[エズラ・パウンド]]の愛人オルガ・ラッジとしばしば演奏旅行を行なったが、やがて[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]に強く影響された[[前衛音楽]]の旗手として悪名を馳せるようになる。最も名高い作品は、[[1926年]]の「[[バレエ・メカニク]]」であるが、これは演奏会用に企図された作品であって、曲名に反して、舞踏音楽としては作曲されてはいない。この曲において踊り子を演ずるのは[[機械]]であり、電子[[ブザー]]や航空機の[[プロペラ]]といった部品が含まれていた。この作品は、初演において、騒動と評論家の非難を巻き起こした。
 
ちなみに「バレエ・メカニク」の「機械が踊る」というコンセプトは、[[坂本龍一]]のアルバム「[[未来派野郎]]」に、とりわけ収録曲「Ballet mecanique」に影響を与えた。
 
1930年代になるとアンタイルの作風はより伝統的になっていくが、同時に作曲家として生計を立ててゆくことが難しくなり、たびたび映画音楽の作曲や、雑誌への記事投稿などで糊口を凌いだ。一例を引くと、内分泌学の研究が趣味だったので、『エスクワイア』誌に内分泌腺に関する一連の論文を寄せている。自伝『音楽の悪童』([[1945年]])は成功作で、生彩にあふれた娯楽作だが、体験談については必ずしも事実として受け容れられるわけではない。
38行目:
 
=== 著名な作品 ===
*バレエ・メカニク ''Ballet mécanique'' (初稿は1924年)
*航空機のソナタ ''Airplane Sonata'' (1923年)
*未開のソナタ ''Sonate Sauvage'' (1923年)