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==略歴==
[[東京
19歳の時に[[内藤鳴雪]]の門を敲き、門下生となる。後に[[高浜虚子]]に師事し、彼が主宰する『[[ホトトギス (雑誌)|ホトトギス]]』同人に推輓される。特に、明治末期、大幅に発行部数が減少していた『ホトトギス』において、雑詠選の代選で頭角を現し、同誌の中興に貢献した。その一方で、俳風の相違などから虚子とは距離を置くこととなり、大正5年(1916年)には自ら主宰した俳句雑誌『曲水』の運営に当たっている。
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