「フォールン・ティンバーズの戦い」の版間の差分

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'''フォールン・ティンバーズの戦い'''(-のたたかい、英:Battle of Fallen Timbers)は、[[1794年]][[8月20日]]に、[[アメリカ合衆国]][[ジョージ・ワシントン]]による[[北西部領土 (アメリカ合衆国)|北西部領土]]侵略に対抗して、アメリカ合衆国に[[インディアン]]が大同盟を組んで挑んだ[[インディアン戦争]]。
 
[[北西インディアン戦争]]の行方を決した戦いであり、戦いは[[アメリカ合衆国軍]]の勝利に終り、この地域での戦闘は[[1811年]]の「[[テムセの戦争]]」まで休戦となった。
 
== 背景 ==
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米軍はインディアン集落と耕作地の大半を破壊し撤退した。ウェインの部隊は33名が戦死し、100名が負傷した。勝った米軍は30ないし40名の敵の死体が戦場に残されていたと報告した。イギリスのインディアン部局のアレクサンダー・マッキーによれば、インディアン同盟の損失は19名ということであった<ref> Gaff, ''Bayonets in the Wilderness'', gives the claim of 30-40 bodies found as well as McKee's figure of 19 killed</ref>。マッキーの数字にはインディアン側で戦ったアレクサンダー・マキロップ指揮下のカナダ人志願兵の損失が含まれているかどうか明らかでない。
 
インディアン同盟の敗北に続いて[[1795年]]にグリーンビル条約が締結され、今日のオハイオ州の大部分がアメリカ領となり、[[1803年]]に州として昇格する道筋ができた。フォールンティンバーズに参加したインディアンの中には、このグリーンビル条約に署名(X印を書くだけである)しなかった[[テムセ]]というショーニー族の若き戦士がいた。彼は後年、新たにインディアンの抵抗を始めることになった。
 
== 脚注 ==