「ロゼッタ・ストーン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Poohpooh817 (会話 | 投稿記録)
m 表現整理
4行目:
'''ロゼッタ・ストーン'''('''ロゼッタ石'''、{{lang-fr-short|Pierre de Rosette}}, {{lang-en-short|Rosetta Stone}})は、[[エジプト]]の[[ロゼッタ (エジプト)|ロゼッタ]]で[[1799年]]に発見された石碑である。
 
縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。当初[[花崗岩]]または[[玄武岩]]と考えられたが、[[古代エジプト期]]の暗色の[[花崗閃緑岩]]でできた石柱であり、[[プトレマイオス5世]]のため[[紀元前196年]]に[[メンフィス (エジプト)|メンフィス]]で出された勅令が刻まれている。この碑文は三つの文字、すなわち古代エジプト語の神聖文字([[ヒエログリフ]])と民衆文字([[デモティック]])、ギリシア文字で記述されている。細かい違いはあれど本質的には同一の文章が全部で三つの書記法で著されていると推測され、[[1822年]]、[[ジャン=フランソワ・シャンポリオン]]によって解読された。これによってロゼッタ・ストーンはエジプトのヒエログリフを理解する鍵となり、他のエジプト語の文書続々と翻訳されることとなった。
 
== 略歴 ==
61行目:
その内容は、[[プトレマイオス5世]]を称え、プトレマイオス5世などに対する皇帝礼拝の実施方法を記したものである。
 
{{cquote|父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした・・・・不死なる統治者、[[プタハ]](エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年あたりこの勅令を発布した・・・・祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。・・・・神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした・・・・}}
 
なお、同様の内容の碑文が[[ダマンフール]]から発見されているため、ロゼッタ・ストーンから一部欠落した部分をほぼ補うことが可能である。