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宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が[[武徳殿]]に集い天皇から[[薬玉]](くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については[[奈良時代]]に既にその記述が見られる。
 
[[鎌倉時代]]ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉の形が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。[[鎧]]、[[兜]]、[[刀]]、武者人形や[[金太郎]]・[[武蔵坊弁慶]]を模した'''五月人形'''などを室内の飾り段に飾り、庭前に[[こいのぼり]]を立てるのが、典型的な祝い方である(ただし「こいのぼり」が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となったが京都を含む上方では当時は見られない風習であった)。鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。こいのぼりをたてる風習は中国の故事にちなんでおり、男子の立身出世を祈願している([[こいのぼり]]の項)。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹(あるいはそれ以上の)こいのぼりからなる。吹き流しの5色は[[五行説]]に由来する。
 
端午の日には[[ちまき]]や[[柏餅]](かしわもち)を食べる風習もある。ちまきを食べるのは、[[中国]][[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の楚の詩人[[屈原]]の[[命日]]である[[5月5日]]に彼を慕う人々が彼が身を投げた[[汨羅江]](べきらこう)にちまきを投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしたものがちまきの由来とされる。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、[[カシワ|柏]]は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていった。中国語圏では、現在も屈原を助けるために船を出した故事にちなみ、龍船節として手漕舟(龍船あるいは[[ドラゴンボート]])の競漕が行われる。[[ヨモギ]](蓬、{{Lang-zh|艾}}(アイ)または{{Lang|zh|艾蒿}}(アイハオ))の束を魔よけとして戸口に飾る風習も、広く行なわれている。