「松平輝規」の版間の差分

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{{基礎情報 武士
|氏名=松平 輝規
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|画像サイズ=
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== 生涯 ==
5000石を領した[[大身]][[旗本]][[松平信定 (大河内松平家)|松平信定]]の十男。輝規の従弟である高崎藩主[[松平輝貞]]の養子となる。
 
[[元文]]4年([[1739年]])、教訓書『見聞相染集<small>(けんもんそうぜんしゅう)</small>』を著わした。書名は実父信定が詠んだ歌「見つ聞きつ いにしへ今の かずかずに 思を染むる 言の葉の道」に由来する。別名を『愼怖記<small>(しんふき)</small>』ともいう。
 
== 略歴 ==
*天和2年([[1682年]])6月12日、江戸に生まれる。
*[[正徳 (日本)|正徳]]5年([[1715年]])2月3日、従兄弟である[[松平輝貞]]の養子となる。
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*[[寛延]]2年([[1749年]])2月9日、致仕。
*宝暦6年([[1756年]])2月29日、卒。なお、『[[寛政重修諸家譜]]』等は、死去の日を3月11日とする。
 
 
{{大河内(大河内松平)氏歴代当主|高崎藩系大河内松平家|1745年 - 1749年|第3代}}
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{{DEFAULTSORT:まつたいら てるのり}}
[[Category:大河内松平氏|てるのり]]
[[Category:譜代大名高崎藩主]]
[[Category:1682年生]]
[[Category:1756年没]]