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現在の芝浦一帯は、以前は江戸湾([[東京湾]])の浅瀬だった。[[中世]]から東京湾の重要な海運拠点で、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[後北条氏]]の水軍の一拠点であったとされ、北条氏の縁戚である吉良頼康と[[玉縄城]]主[[北条綱成]]の管理下に置かれた。
 
[[江戸時代]]には芝浦は雑魚場と呼ばれて漁村として栄え、また芝浦でとれた魚は芝肴(しばざかな)と称され[[江戸]]に広く出回り、将軍にも献上された。いわゆる[[江戸前]]である。特に[[シバエビ|芝海老]]は特産となった。芝浦の沖合いでは海苔の養殖も行われた。
 
* [[1912年]]([[明治]]45年) [[隅田川]]口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦地区の埋め立てが開始される。