「三瀬幸司」の版間の差分

本人は「休部を機に社会人野球をやめて草野球でもやろう」というつもりだったというが、本人の意向を知った[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]から「辞める前に試しにテストを受けてはどうか」との誘いがあり、入団テストで当時の投手コーチだった[[尾花高夫]]らから高評価を受ける<ref name="tochu110512"/>。同年秋の[[2003年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で同球団から7巡目指名を受けて入団。28歳でのプロ入りだった。
 
=== ダイエー・ソフトバンク時代 ===
=== プロ入り後 ===
[[File:SH-Koji-Mise.jpg|right|thumb|ソフトバンク時代]]
{{by|2004年}}、新人ながらチーム事情により[[リリーフ#抑え|抑え]]を任され[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に監督推薦で出場。[[9月14日]]には自己最速となる149km/hを計測し、最終的に[[横山道哉]]([[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]])と並び32セーブポイントで[[最多セーブ投手|最優秀救援投手]]、[[城島健司]]と共に[[最優秀バッテリー賞]]を獲得。新人での最優秀救援投手は[[与田剛]]({{by|1990年}})以来二人目。新人での最優秀バッテリー賞受賞は史上唯一。[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]にも選出され、28歳7ヶ月での受賞はパ・リーグ最年長受賞者となった。
 
{{by|2008年}}はチーム最多の44試合に登板するも、約4分の3が負け試合での登板だった<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/2009/news/p-bb-tp1-20081213-439752.html ソフトB三瀬“勝利の方程式”復帰目標] nikkansports.com 2008年12月13日</ref>。再起を期して臨んだ翌{{by|2009年}}も自己最少の17試合登板に終わった。
===中日時代===
 
{{by|2010年}}[[6月24日]]、[[清水将海]]との[[トレード|交換トレード]]で[[中日ドラゴンズ]]へ移籍<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/5804.html トレードについて]</ref>。移籍後に一軍登録され、中継ぎで登板するも結果が出ずにその後は二軍生活であったが、[[クライマックスシリーズ]]より一軍に合流し、[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも有資格者に選ばれて日本シリーズ初登板を果たした。
 
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