「梁川藩」の版間の差分

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'''梁川藩'''(やながわはん)は、[[江戸時代]]の一時期、[[陸奥国]](後の[[岩代国]])<!-- 陸奥国から岩代国が分割されたときにはすでに梁川藩は存在しなかったので、岩代国に梁川藩が存在したことはありません。「(後の岩代国)」の記述はいらないような気もしますが、いかがでしょう? --><!-- 同意。明治元年成立の岩代国について記載する必要があるのは、飛領として管理していた松前藩及び館藩の項目ですね。 -->[[伊達郡]]に存した[[藩]]。現在の[[福島県]][[伊達市 (福島県)|伊達市]][[梁川町]]鶴ヶ岡の[[梁川城]]跡に[[陣屋]]を置いた。当初は[[尾張藩]][[尾張徳川家|徳川家]]の[[支藩]]([[御連枝]])。後には一時、[[蠣崎氏|松前氏]]が入封した。
 
== 沿革 ==
梁川は天正19年([[1591年]])まで[[伊達氏]]の領地であったが、[[豊臣秀吉]]により召し上げられて[[蒲生氏郷]]の支配地へと編入された。慶長3年([[1598年]])には[[上杉景勝]]の領地となり、[[伊達政宗]]との対立から緊張が高まる時期には、梁川城代として[[須田長義]]が上杉景勝から派遣された。[[関ヶ原の戦い]]の後は、上杉氏が改易される過程で梁川は上杉氏の領地から外れ、幕領に属していた。
 
=== 第1期尾張徳川家連枝 ===
[[天和 (日本)|天和]]3年([[1683年]])[[尾張藩]]2代藩主[[徳川光友]]の三男[[松平義昌]]が3万石にて立藩した。分家の理由は尾張藩が血脈の断絶を恐れたためであり、同時期、同様の理由で尾張藩は四谷家、川田久保家を分家させている。梁川の立藩は、有力な外様である伊達氏への楔となる親藩を求める幕府の思惑とも一致していた。[[享保]]14年([[1729年]])5月、3代・義真が卒去し、無嗣子のため廃絶となった。
 
同年9月、尾張藩3代藩主[[徳川綱誠]]の十九男松平通春(後の[[徳川宗春]])に改めて3万石が与えられたものの、翌享保15年([[1730年]])に世継を残さないまま尾張藩主[[徳川継友]]が死亡し、通春が尾張藩を相続したため、一時廃藩となった。宗家断絶を防止するという役目を果たしての廃藩であった。
 
=== 第2期松前氏の移封 ===
廃藩後は[[宝暦]]5年([[1755年]])に[[会津藩]]([[会津松平家|松平氏]])[[飛地]]、[[宝暦]]6年([[1756年]])に[[磐城平藩]]飛地、[[安永]]7年([[1778年]])に幕府領、[[寛政]]2年([[1790年]])に再び磐城平藩飛地、[[享和]]3年([[1803年]])再び幕府領となっていたが、[[文化 (元号)|文化]]4年([[1807年]])[[蝦夷地]]召し上げに伴い蝦夷[[松前藩]]より[[松前章広]]が9千石(実高1万8600石)にて転封となった。この国替えは、蝦夷交易の[[運上金]]により数万石の大名とみなされていた松前氏にとって、改易に等しいものだった。転封の理由は資料により様々であるが(密貿易説、藩主の放蕩説)、転封前にロシア船に対して万全の警備をするよう沙汰があったのにもかかわらずそれを怠ったことと、幕府が蝦夷地を直接支配して北方警備を強化する方針をとったこと、後の松前氏の蝦夷地復帰理由が「北方に対する備えが整ったため」であったことから、防備の軽視が転封の理由となったという立場もまた有力視されている。
 
梁川に転封された松前氏は、まず財政難に直面した。蝦夷においては[[商場知行]]という形で知行地を家臣に与えていたが、梁川では石高制度に切り替える必要があり、その収入も家臣団を賄えないほどに激減した。松前氏は財政規模に合わせて240名余りの家臣を除籍し、梁川に連れてくることができた家臣は111名であった。
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== 歴代藩主 ==
=== 松平〔尾張〕家 ===
[[親藩]]・[[御連枝]]  3万石  (1683年 - 1730年)
#義昌(よしまさ)〔従四位下、出雲守・少将〕 尾張藩主[[徳川光友|徳川右衛門督光友]]の子。それまで簗川だった地名を梁川に改めた。
#[[松平義方|義方]](よしかた)〔従四位下、出雲守・少将・侍従〕
#[[松平義真|義真]](よしざね)〔従四位下、式部大輔・侍従〕
#通春(みちはる)〔従五位下、主計頭・侍従〕 尾張藩主[[徳川綱誠|徳川右衛門督綱誠]]の子 後、尾張藩主[[徳川宗春]]となる
 
=== 松前家 ===
[[外様大名|外様]]  9千石  (1807年 - 1821年)
#章広(あきひろ)〔従五位下、志摩守〕
 
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*『藩史総覧』 [[児玉幸多]]・[[北島正元]]/監修 [[新人物往来社]]、[[1977年]]
*『藩史大事典 第1巻 北海道・東北編』 藤野保・木村礎・村上直/編 雄山閣、1988年 ISBN 4-639-10033-7
 
 
{{江戸時代の藩}}
 
{{DEFAULTSORT:やなかわはん}}
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[[Category:福島県の歴史]]
[[Category:伊達市 (福島県)の歴史]]
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