「タイ・カッブ」の版間の差分

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=== 八百長疑惑 ===
カッブはこのときのことを「野球界に住み古してその表裏を知り尽くしているはずの私であったが、これほどの暗黒面と対決したのは初めてである」と自伝に記している。この年の10月、フランク・ナヴィン球団社長がカッブの監督解任を発表した。すると1ヶ月後にクリーブランド・インディアンスのトリス・スピーカーも監督を解任された。後日、1919年のタイガース対インディアンスのゲームで八百長があったとして、タイガース元投手[[ダッチ・レナード]]、アメリカンリーグ初代会長[[バン・ジョンソン]]、タイガース球団社長フランク・ナヴィン、MLB初代[[MLBコミッショナー|コミッショナー]]である[[ケネソー・マウンテン・ランディス]]の4名がトリス・スピーカー、タイ・カッブ、投手の[[スモーキー・ジョー・ウッド]]を告発した。これにより、突然の解任劇は八百長に対する処分であることが判明したが、告発の内容が不自然であったことから、政治家や記者達、さらには審判や解説者、他チームの選手までが一丸となって告発者である4名を非難し始めた。
 
レナードはかつてはボストン・レッドソックスで防御率0.96、19勝5敗を記録するなど優秀な投手であったが、近年は不振が続きカッブはレナードを1925年にタイガースの名簿からはずし、ウェーバーに出した。だが、インディアンスの監督であるスピーカーが彼のウェーバーを断ったので、彼は小リーグに属するカリフォルニアのチームにトレードされた。レナードはこのため、スピーカーとカッブの二人をひどく憎み、必ず仕返しをしてやると公言していた。