「1994年から1995年のMLBストライキ」の版間の差分

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[[シンシナティ・レッズ]]の[[ケビン・ミッチェル]]、[[ミネソタ・ツインズ]]の[[シェーン・マック]]、ホワイトソックスの[[フリオ・フランコ]]と[[ダリン・ジャクソン]]は1994年に3割を超える打率を残したが、翌1995年シーズンに[[日本プロ野球]]でプレーすることを決めた。
 
[[NBA]]のスター、[[マイケル・ジョーダン]]は1994年3月にホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下AA級[[バーミンガム・バロンズ|バーミンガム]]でプレーして世間を驚かせた。1994年は127試合出場で、打率.202・3本塁打ながら30[[盗塁]]を記録した。ホワイトソックスは状況を打開するため、傘下マイナーリーグ所属選手に対し、代替選手として[[メジャーリーグベースボール#スプリングトレーニング|スプリングトレーニング]]に出場するよう求め、従わない場合は施設の利用を拒否した。球団社長はジョーダンにはこの処置を適用しないと約束していたが、約束は反故にされた。選手会側と経営者側の板挟みに悩み、1995年3月2日に[[プロ野球監督|監督]]にも何も告げずにホワイトソックスのキャンプ地を去り、3月18日にNBAの[[シカゴ・ブルズ]]への復帰が発表された。
 
== 主な代替選手 ==