「ラリー・ビグビー」の版間の差分

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ビグビー本人の証言に基づいて作成されたミッチェル報告書によると、2001年から2005年まで[[成長ホルモン|ヒト成長ホルモン]](HGH)、[[ナンドロロン|デカ・デュラボリン]]、[[ススタノン]]、[[テストステロン]]、[[アンチエストロゲン]]などの様々な[[ドーピング|禁止薬物]]を購入し、使用していた。
 
2001年6月に初めてMLBに昇格した時にオリオールズでのチームメイトだった[[デビッド・セギー]]とは直ぐに仲良しになり、家賃無しで彼の家に同居させてもらう事が出来た。ビグビーは[[アナボリックステロイド]]についての知識が豊富だったセギーに助言を求めた。2001年シーズン終盤に向けてデカ・デュラボリンと[[テストステロン]]をセットにして初めて使用していた。セギーはビグビーに無償でステロイドを提供した。2002年の[[メジャーリーグベースボール#スプリングトレーニング|スプリングトレーニング]]の頃には体重は190[[ポンド (質量)|ポンド]](約86.2kg)から220ポンド(約99.8kg)にまで増加していたが、[[体脂肪率]]はわずか7%だった。
 
2002年はシーズン途中に負傷してしまう。同年シーズンオフは広範囲にステロイドを使用するようになった。セギーの助言により、ステロイドの使用を停止して[[エストロゲン]]の生産を抑えるアンチエストロゲンを使用した。テストステロンを自然に高めていく効果を狙った。