「1981年のMLBストライキ」の版間の差分

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== ストの経緯 ==
{{by|1981年}}5月29日、[[メジャーリーグベースボール選手会|選手会]]の理事会は[[フリーエージェント (プロスポーツ)#メジャーリーグベースボール|フリーエージェント]](FA)の未解決の問題のために{{by|1972年}}以来、[[メジャーリーグベースボール]](MLB)史上2度目となる[[ストライキ]]の決行を[[全会一致]]で可決した。
 
経営者側は選手を契約で縛り付ける特権を必死に取り戻そうとして、FAによって選手を失ったチームに補償が支払われることを要求した。求めた補償の内容は獲得する選手は自由に選べるというものである。問題となったのはこの署名チームの名簿から選ばれる選手についてだった。選手会側は補償によってFAの価値が損なわれると主張した。
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ストライキは6月12日に選手によって引き起こされたが、多くの[[マスメディア]]は経営者側に責任があると激しく避難した。[[スポーツ・イラストレイテッド]]誌は「'''Strike! The Walkout the Owners Provoked'''」という見出しを載せた<ref>[http://www.peoplesworld.org/the-1981-major-league-baseball-players-strike/ The 1981 Major League Baseball Players strike] peoplesworld.org</ref>。
 
経営者側は保険を掛けていたこともあって強気の姿勢を崩さず、交渉は進展しなかった。経営者側の保険が切れる寸前になると事態は変わり、7月31日にFA選手を喪失した球団に支配下選手40人のうち26人まで入れることが出来るプロテクトリストに含まれない選手を獲得する権利や補償ドラフトの指名権を付与するシステムを導入することで合意に達した。
 
このFA補償ドラフトはプロテクトリストから外れていた通算273勝の大ベテラン[[投手]]、[[トム・シーバー]]を[[シカゴ・ホワイトソックス]]が、同じくプロテクトリストに入っていなかった{{by|1984年}}1月の[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト会議]]で全体1位指名を受けた新人投手、[[ティム・ベルチャー]]を[[オークランド・アスレチックス]]が獲得したことなどから問題となり、{{by|1985年}}には廃止なった<ref>[http://www.baseball-reference.com/bullpen/Free_agent_compensation_draft Free agent compensation draft] BR Bullpen</ref>。
 
== スト終了後の影響 ==
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== 脚注 ==
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== 脚注 ==
 
 
{{DEFAULTSORT:MLBすとらいき1981}}