「ブロンベルク罷免事件」の版間の差分

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一方ブロンベルクは[[ヒトラー内閣]]成立以前からナチスに協力的であり、将校団には、「ゴムのライオン(見掛け倒し)」と揶揄されていた。ヒトラーはブロンベルクを通じての軍の支配を思いつき、まず指揮権を国防相に返還させようとした。しかしフリッチュと[[参謀総長]][[ルートヴィヒ・ベック|ベック]]の抵抗により失敗に終わった。
 
1937年、ヒトラーは国防軍上層部と外相[[コンスタンティン・フォン・ノイラート|ノイラート]]を含めた秘密会談で、近い将来における、[[チェコスロバキア]]と[[オーストリア]]への攻撃計画を発表した。ブロンベルクとフリッチュはヒトラーの情勢分析を批判し、[[イギリス]]と[[フランス]]を敵に回す可能性を指摘、軍の体制が整っていないと主張、計画に同意しなかった。この会議でフリッチュに圧力を掛け、国防軍を掌握する意図がヒトラーにはあったが、ブロンベルクも反対したことで、失敗に終わる。([[フリードリヒ・ホスバッハ#ホスバッハ・メモランダム|ホスバッハ覚書]])
 
== 経過 ==