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1882年(明治15年)(44歳)6月初、家族を残し、日本美術研究家のビゲロー([[:en:William Sturgis Bigelow|William Sturgis Bigelow]])と横浜に着いた。東大側は歓迎し宿舎を提供した。あちこちで講演し、冑山の再訪もしたが、今回は民具と陶器の収集が目的で、民具は、『ピーボディー科学アカデミー』用であった。[[大隈重信]]が、所蔵の全陶器を贈った。
7月下旬から9月上旬まで、[[アーネスト・フェノロサ|フェノロサ]]、ビゲロ
=== 帰国 ===
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