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[[1725年]]からは[[ヴィトゥス・ベーリング]]率いる探検隊がピョートル1世の命令でカムチャツカまで旅したが、彼はレナ川とその支流アルダン川を通って[[ジュグジュル山脈]]を越え[[オホーツク海]]にいたった。
 
[[19世紀]]には[[北極]]圏をヨーロッパからアジアへ進む最短距離航路([[北極海航路]])の発見の期待があり、[[北極海]]沿岸の探検([[:en:Great Northern Expedition]])が進んだ。{{仮リンク|エドゥアルド・トーリ|en|Eduard Toll}}(Baron Eduard Von Toll)は[[ロシア科学アカデミー]]の依頼で[[1885年]]にレナ川デルタとその東の[[ノヴォシビルスク諸島]]の探検をおこなった。彼らはレナ川が分流して北極海へ出るデルタ地帯の河口群を調査し、[[1886年]]春にはノヴォシビルスク諸島とその東の[[ヤナ川]]流域も調査した。19世紀初頭には[[砂金]]や金鉱({{仮リンク|レナ金鉱|ru|Ленские золотые прииски}})が発見されゴールドラッシュの様相を呈した。[[1853年]]には[[レナ金産業会社]]({{lang|ru|Ленского золотопромышленного товарищества}}、略称: {{lang|ru|Лензолото}} レンゾロト、Lenzoloto)が設立され、レナ川沿いにはヤクーツクほか多くの都市や鉱山町が建設された。ロシアの金生産の4分の1を占めるレンゾロトは20世紀初頭にはイギリス資本を受け入れ買収された({{lang|en|Lena Gold Mining Joint Stock Company}}、略称: Lenzoloto)
 
[[20世紀]]の[[ソビエト連邦]]における[[ヨシフ・スターリン]]体制では大勢の国民がレナ川流域の強制労働収容所([[グラグ]])へ送り込まれ金鉱や森林などで働かされた。