「ハンニバル」の版間の差分

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[[紀元前207年]]、ハンニバルは再度北上してアプリア地方を制圧、ここでイベリア半島から西進する弟・[[ハスドルバル#ハスドルバル・バルカ|ハスドルバル]]の支援を待ったが、ハスドルバルはその途上に[[メタウルスの戦い]]で戦死してしまう。さらにハンニバルと行動を共にしていた弟・[[マゴ]]の[[リグリア]]攻略失敗、またピリッポス5世との連携の失敗などによって、南イタリアでの主導権回復の術を失う。このようにローマはハンニバルの指揮下にない敵対勢力を徐々に削り取っていった。
[[画像:ScipioIsis priest01 pushkin.jpg|thumb|right|150px|スキピオ・アフリカヌスの胸像]]
 
ハンニバルがアプリア地方に封じ込まれる中、ローマではヒスパニアで功績を挙げたスキピオが攻勢に転じようとしていた。[[シチリア]]島を占拠した後、彼はそこを拠点にして志願兵を募り養成していたが、カンナエの戦いの失敗から攻勢への転換に踏み切れない元老院は、当初スキピオに渡航許可を与えなかった。曲折を経てようやく元老院の許可(実際は黙認であり、スキピオへの援助・援軍は約束されなかった)が出たスキピオは、軍勢とともにアフリカに渡航する。いきなりハンニバルを無視して本土に現れた敵にカルタゴ政府は驚き、[[ヌミディア]]王国の[[シュファクス]]率いる騎兵を援軍として戦うが敗北した。