「チットラダー離宮」の版間の差分

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パヤータイ宮殿とドゥシット宮殿の間にある平地に1913年、ラーマ6世(ワチラーウット)が[[プラヤー・ヨマラート (パン・スクム)]]に命じて宮殿を建設させたのに始まる。プラヤー・ヨマラートは[[プラヤー・ウィスカムシラパプラスート]](ノーイ・シラピー)を現場監督にして建設させた。また、ラーマ6世はこの平地にチットラダーという名を与え、宮殿をチットラダーラホーターン宮殿と名付けた。完成した宮殿は2階建ての西洋風建築である。これは後にラーマ7世(プラーチャティポック)の命で[[ドゥシット宮殿]]に加えられた。
 
[[ラーマ9世]](プーミポン)は王宮の[[{{仮リンク|ボーロマピマーン宮殿]]|th|พระที่นั่งบรมพิมาน}}({{lang|en|Phra Thinang Boromphiman}})からチットラダーに宮殿を住居を移した。1958年には内部にチットラダー学校を設置した。最初は国王の子息や王族の子息の為の学校であったが、後に、宮内省関係者の家族のための学校になった。
 
敷地内にはラーマ9世の命で設置された畑があり、ここでとれる作物は高級品として市場に出回っている(王室米など)。また、いわゆる[[ロイヤル・プロジェクト (タイ)|ロイヤル・プロジェクト]]の中心地でもある。