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[[File:Sanjūrokkasen-gaku - 15 - Kanō Naonobu - Minamoto no Kintada Asomi.jpg|thumb|源公忠([[狩野尚信]]『三十六歌仙額』)]]
'''源 公忠'''(みなもと の きんただ、[[寛平]]元年([[889年]])- [[天暦]]2年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]([[948年]][[12月7日]]))は、[[平安時代]]中期の[[官人]]・[[歌人]]。[[光孝天皇]]の孫。[[大蔵省|大蔵卿]]・[[源国紀]]<ref>読みは、みなもと の くにのり。</ref>の子。[[官位]]は[[従四位|従四位下]]・[[弁官|右大弁]]。[[三十六歌仙]]の1人。滋野井と号す。
 
== 経歴 ==
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== 逸話 ==
公忠は鷹狩の名人で、『大鏡』<ref>『大鏡』第6巻,4段</ref>に以下の逸話がある。
*公忠は公務の間、予め馬をどこかに繋いでおき、公務が終わるとすぐにそのまま鷹狩に毎日のように出かけていた。また、[[久世郡|久世]]の[[キジ|雉]]と[[交野郡|交野]]の雉の味の違いを識別できるとの話があったので、ある人が両方の雉を混ぜて料理し、目印を付けて献上したところ、公忠はそれぞれの雉を味わい分けたという。
 
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
{{Portal|文学}}