「マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
26行目:
[[Image:Halleuniplatz.JPG|250px|thumb|ライオン像(手前)と大講堂Audimax(奥)]]
'''マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク'''([[ドイツ語|独]]:{{lang|de|Martin-Luther-Universität Halle-Wittenberg}}、[[英語|英]]:{{lang|en|Martin Luther University of Halle-Wittenberg}})は、[[ドイツ]]・[[ザクセン=アンハルト州]]の[[ハレ]]と[[ヴィッテンベルク]]
[[1817年]]、'''ヴィッテンベルク大学'''([[1502年]]設立)と'''ハレ大学'''([[1694年]]設立)の
== 歴史 ==
ヴィッテンベルク大学は1502年、[[ザクセン選帝侯]][[フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)|フリードリヒ3世]]が設立した。ルターの影響を受けた[[フィリップ・メランヒトン]]の活動により[[宗教改革]]の中心地となった。著名な出身者には[[ゲオルク・レティクス]]らがおり、フィクションの世界であるが、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の[[ハムレット]]王子や[[クリストファー・マーロウ]]の[[フォースタス博士]]もここで学んだことになっている。
ハレ大学は1694年、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]]フリードリヒ3世(1701年からは初代[[プロイセンの王|プロイセン王]]
両大学とも17世紀、18世紀にはドイツ[[啓蒙時代]]を中核として支えた。[[合理主義哲学]]を推進した[[クリスティアン・ヴォルフ]]は[[イマヌエル・カント|カント]]らに影響を与え、同じころ[[クリスティアン・トマジウス]]はドイツの哲学者として初めて講義を[[ラテン語]]ではなく[[ドイツ語]]で行っている。トマジウスは合理主義哲学の発展に寄与し、より公正な観点を確立することにより、それまで疑われることのなかった専制政治と神学の優位性に異を唱えることを目指した。
ヴィッテンベルク大学は[[ナポレオン戦争]]中の1813年に閉鎖された。1815年の[[ウィーン会議]]でヴィッテンベルクがプロイセンに割譲され、1817年
== 組織 ==
52行目:
== 協力研究機関 ==
*[[
*[[:de:Institut für Wirtschaftsforschung Halle|Institut für Wirtschaftsforschung Halle]]
*[[フラウンホーファー協会|フラウンホーファー研究機構]]材料力学研究所
*[[:de:Leibniz-Institut für Agrarentwicklung in Mittel- und Osteuropa|Leibniz-Institut für Agrarentwicklung in Mittel- und Osteuropa]]
*[[:de:Leibniz-Institut für Pflanzenbiochemie|Leibniz-Institut für Pflanzenbiochemie]]
*[[:de:Max-Planck-Forschungsstelle für Enzymologie der Proteinfaltung|Max-Planck-Forschungsstelle für Enzymologie der Proteinfaltung]]
*[[:de:Max-Planck-Institut für ethnologische Forschung|Max-Planck-Institut für ethnologische Forschung]]
*[[:de:Max-Planck-Institut für Mikrostrukturphysik|Max-Planck-Institut für Mikrostrukturphysik]]
*[[:de:Helmholtz-Zentrum für Umweltforschung – UFZ|Helmholtz-Zentrum für Umweltforschung – UFZ]]
== 海外提携大学 ==
174 ⟶ 173行目:
[[Category:ザクセン=アンハルト]]
[[Category:ハレ]]
[[Category:
|