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1884年(明治17年)、顧問役をつとめた古河家を辞し、鉱業家として独立自営する。岡山県・[[国盛鉱山]]など各地の鉱山を買収、巨万の富を成し「鉱山王」とも呼ばれるようになる。鉱業のみならず山林業にも手を染め、500万本もの[[植林]]を行い「山林王」の名もほしいままにしたという。郷里・[[豊岡市|豊岡]]での産業振興や人材育成にも力を入れ、銀行・製糸工場・煉瓦工場などの経営にも関わり、1906年(明治39年)育英基金「中江済学会」を創設し、学者・弁護士・医師など多くの人材を育成した。
 
1911年(大正10年)、収益金の一部を町の奨学基金にという条件で、豊岡市上水道建設費を全額寄付した。奨学金制度は現在も続けられている。豊岡市上水道は1922年(大正11年)5月11日に二見のわき水を水源として通水した。
 
1925年(大正14年)3月、町議会は中江種造の功績を称え、[[寿ロータリー (豊岡市)|寿公園]]に銅像を建設した。
豊岡市上水道が通水した5月11日には、毎年寿公園にて水道祭りが行われている。
 
== 外部リンク ==
* [http://www.shinkintanshin.co.jp/tanshin/zaidan/1hito/22nakae/index1.html 中江種造](但馬の百科事典)
 
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