「ピアノ五重奏曲 (ブラームス)」の版間の差分

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パート名の間違いの訂正。第95小節以下の第1ヴァイオリンのメロディを第109小節以降で模倣するパートは、チェロである。
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'''ピアノ五重奏曲[[ヘ短調]][[作品番号|作品]]34'''は、[[ヨハネス・ブラームス]]が[[1864年]]に作曲した作品。
 
当初の版は[[弦楽五重奏]]として着想され、[[ヴァイオリン]]2、[[ヴィオラ]]1、[[チェロ]]2の楽器編成が考えら2)として[[1862年]]に作曲さていた。しかしの版は試演の際に評価を得られず、後に(ブラームスにはよくあることだが、この版は破棄された。次いで、'''2台ピアノのための[[ソナタ]]'''(作品34b)として書き換えられ、ブラームス本人が[[カール・タウジヒ]]とともに初演している。その後に周囲の助言を容れて[[ピアノ五重奏曲]]として書き直し、これが最終決定稿となった……と説明出版されるが、ブラームス自身は[[ピアノ二重奏|2台ピアノ]]版を気に入っていた(事実として破棄しなかった)ことも確かであり、ピアノ五重奏版と同等以上の価値があるという見解も広まって、現在では2台ピアノ版も頻りに演奏されている
 
その代わりに、'''2台のピアノのための[[ソナタ]]'''として[[1864年]]に書き換えられ、ブラームス本人が[[カール・タウジヒ]]とともに同年に初演した。この版はブラームス自身も気に入っていて、後に作品34bとして[[1871年]]に出版された。現在でもこの版はしばしば演奏されている。
サロンを通じて親交があった[[ヘッセン]]王女[[マリア・アンナ・フォン・プロイセン|マリア・アンナ]]に献呈された。彼女はその返礼として、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の「[[交響曲第40番 (モーツァルト)|交響曲第40番]]」の自筆譜をブラームスに送った。ブラームスはこの楽譜を生涯に渡って愛蔵した。
 
上記の初演の後に周囲の助言を容れて、同年に[[ピアノ五重奏曲]]として書き直し、これが作品34として[[1865年]]に出版された。
両端楽章は[[和声法]]においていつもより冒険的であり、落ち着かない印象を醸し出す。このことは、終楽章の序奏において半音階で上行していく音型にとりわけ当てはまっている。
 
これはサロンを通じて親交があった[[ヘッセン]]王女[[マリア・アンナ・フォン・プロイセン|マリア・アンナ]]に献呈された。彼女はその返礼として、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の「[[交響曲第40番 (モーツァルト)|交響曲第40番]]」の自筆譜をブラームスに送った。ブラームスはこの楽譜を生涯に渡って愛蔵した。
 
この曲の両端楽章は[[和声法]]においていつもより冒険的であり、落ち着かない印象を醸し出す。このことは、終楽章の序奏において半音階で上行していく音型にとりわけ当てはまっている。
 
== 楽器編成 ==