「リチャード・P・ファインマン」の版間の差分

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*1951年 - : [[カリフォルニア工科大学]]の教授
**1951年末: 2週間ほど日本訪問。
**1952年6月: 2番目の妻となるメアリー・ルイーズ・ベルと結婚、4年で破局。離婚理由は「肉体的精神的苦痛心身の喪失ファインマンはボンゴの騒音と四六時中自分の好んだ分野であった微積分に没頭していた)によるもの」としてファインマンもこれを事実として認める。
**[[1953年]]: [[国際理論物理学会]] 東京&京都で来日。
**[[1960年]]: 前年に女中で雇った英人のグェネス・ホワースと結婚。後、実子カールと養子ミシェルの2児を授かる。
*悪名高い[[デーモン・コア]]を素手で触った本人の談によると、[[プルトニウム]]は[[崩壊熱]]による、曰く「[[放射能]]の暖かみがある」とのこと。
*何につけても自分が正しいと思ったことは実証しなくては気が済まない性格だった。あるとき大学の[[フラタニティ]]と、小便は重力によって体から自然に出てゆくのかどうかという議論で喧々囂々となり、ファインマンが逆立ちして小便できるところを見せ、そうでないことを実証した。
*[[疑似科学]]が世の中に広く蔓延っていることに心を痛めていた。例えば[[心理学]]上の研究は、彼が[[カーゴ・カルト|カーゴ・カルト・サイエンス]]と呼ぶ疑似科学の例である言い切って嫌っていた。また、エセ科学ではないにしても、トンチンカンな結論しか出せない[[哲学]]も嫌っには言及をしていた。ところが、息子カールが大学で哲学を専攻してしまい、息子に宛てた手紙で自身とは全く別方向の知識を得るであろう事を喜び、父親としての尊厳が(少し)傾いた旨を認めている。後1年ほどしてカールは哲学からコンピューター工学に転向、リチャードは大いに喜ぶ。娘ミシェルは父親を少し落胆させてやろうと政治家を目指している事を打ち明ける、父親が先ず感情的になって反対するであろうと担いだ偽の志であったが、リチャードは諸手を挙げて後押しする。この様子を見てミシェルは「継父さんは本当に子供の将来の選択について干渉しない主義なんだ」と呆れる。
*[[ユリ・ゲラー]]に招待されて彼の泊っているホテルに出かけていったとき、[[読心術]]と鍵を曲げる術の実演を見せてもらうことになった。ところが、ファインマンの心を読みとることはまったくの失敗に終わり、また、ファインマンの息子が持っていた鍵をゲラーがいくら指でこすっても少しも曲がらなかった。するとゲラーは、水の中でこすると曲がりやすいと言い出し、洗面所で水をザーザーとかけながらこすったが、やはり少しも曲がらなかった<ref>仕込みのないスプーンや鍵を曲げる術のトリックは、指で思いっきり力をかけて曲げるか、または、何か硬いものに引っ掛けて曲げるのを、皆に見えないようにすばやく行うことであるが、周囲をがっちりと取り囲まれていたり、引っ掛けるものがないときは「今日は集中できない」などと曲げられない言い訳をして終了する。</ref>。
*[[打楽器]][[ボンゴ]]の名手であった。サンフランシスコのバレエ団の公演でパーカッションを担当したり、彼が音楽を担当した創作ダンスがパリで行われた[[バレエ]]の国際コンテストで2等を取ったりしている。