「アルベルト・アインシュタイン」の版間の差分

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*人前ではめったに笑顔を見せた事がなかったと言われている。しかし、自身が[[舌]]を出している最も有名な[[写真]]は、[[1951年]]3月14日、アインシュタインが72歳の誕生日に、INS通信社カメラマンだったアーサー・サスの「笑ってください」というリクエストに危うく応えそうになってしまい、とっさにそれを隠そうとした表情を撮ったものである。しかしその写真は、アインシュタイン本人もお気に入りで、9枚焼き増しを頼んだほどである。この写真は、1951年度のニューヨーク新聞写真家賞のグランプリを受賞した。また、[[切手]]にもなった。 
*ノーベル賞受賞後[[ニューヨーク]]である少女に[[数学]]を教えていたことがあった。少女の母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答した。
*一般に[[左利き]]であると言われているが矯正した事実はなく、彼自身、ペンや[[万年筆]]は右で持った<ref>{{Cite book|和書|editor=[[アリス・カラプリス]]編|others=[[林一]]・[[林大]]訳|date=2006-08-23|title=アインシュタインは語る|edition=増補新版|publisher=大月書店|pages={{要ページ番号|date=2012年5月}}|isbn=4-272-43068-8|url=http://www.otsukishoten.co.jp/book/b53918.html|ref=カラプリス2006}}</ref>。
*また、[[ABO式血液型]]なども一度も調べられた事実はないが、血液型が表記されているものも間々見受けられる。
*1924年、[[ルイ・ド・ブロイ]]がソルボンヌ大学の博士論文を提出した際、教授陣は誰もその論文を理解できなかった。教授の一人がアインシュタインにセカンドオピニオンを求めたところ「この青年は博士号よりノーベル賞を受けるに値する」との返答を得た。その5年後にルイは、本当にノーベル賞を受賞した。<ref>{{Cite book|和書|author=レオン・レーダーマン|authorlink=レオン・レーダーマン|coauthors=[[クリストファー・ヒル]]|others=[[小林茂樹]]訳|date=2008-04-15|title=対称性 レーダーマンが語る量子から宇宙まで|publisher=白揚社|pages={{要ページ番号|date=2012年5月}}|isbn=978-4-8269-0144-4|url=http://www.hakuyo-sha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=detail&mode2=search&id=364|ref=レーダーマン&ヒル2008}}</ref>
<!--*とあるパーティーに出席した際、同席していた[[マリリン・モンロー]]から「私の美貌とあなたの頭脳をもった子供ができたら、どんなに素晴らしいでしょう」と言われ、「私の顔と、あなたの知能をもつ子供が生まれるかもしれませんよ」と切り返したという(ほぼ同じ内容のエピソードが、[[バーナード・ショー]]と某女優(女性に対する礼儀として匿名にしたと思われる。また、イサドラ・ダンカン説もある)のやりとりとして伝わっている(真偽の程は定かではない)。モンローとアインシュタインの年齢差が50歳近くある事から、バーナード・ショーの逸話が人違いを起こして紛れ込んでいる可能性が高いと思われる)。-->